旭川の木製クラフトメーカー ササキ工芸

日本の文化においては、小さなころから「人様に迷惑をかけてはいけない」と教えられてきました。
私もそのように教えられてきたように思いますし、日ごろから迷惑をかけないように気を付けて行動するようにしています。

でも、あるときインドのことわざで「人が生きていく過程で多くの人に迷惑はかけるものだから、迷惑をかけられても許してあげなさい」みたいな内容のものがあると聞きました。

それを聞いた時に、今の日本に必要な言葉なのではないかと感じました。

「人に迷惑をかけない」というのは、たしかに素晴らしいことですが、深読みすれば、「自分は人に迷惑をかけないようにしているのだから、あなたも私に迷惑をかけないでね」という考えにつながるのではないかと思います。

その考えが行き過ぎると寛容性が無くなり、人に対してとても厳しい見方をしてしまうのではないでしょうか。

最近のニュースなどを見ていても、何かちょっとしたミスなどもやり玉にあがり、利害関係者や当事者ではない第三者が正義をかざすように攻撃しているのを目にすることがあります。
基本的には当事者同士で解決すべき問題なのに、関係のない第三者が憶測や一方的な価値観で騒ぎ立て、それがあたかも絶対的な正義であるかのように振る舞う姿はとても見苦しいものです。

もちろん、法律に触れるようなことは、しっかりと法をもとに判断を下すべきであり、時には罰則も必要となるかと思います。
でも、それはあくまでも法律にのっとった措置であり、第三者が自分の価値観だけで判断すべきことでは無いと思いますし、ましてそこに制裁を加えるようなことはすべきではないはずです。

正しさを追求しすぎると他人に対しての寛容さがなくなり、それはまわりまわって自分にも返ってきます。
相手の正しさを追求すれば、自分も相手から正しさを追求されることになり、それが今の日本の閉塞感に繋がっているように感じるのは私だけでしょうか?

今回の新型コロナに関しても、誰が悪いわけでもないし、感染する可能性は誰にだってあるはずなのに、感染した人が出るたびに身元を特定して晒上げるのは行きすぎだと感じます。

「明日は我が身」と思えば、もう少し周りの人達に寛容になることが出来るのではないでしょうか?

私たちが教えられてきた「人に迷惑をかけない」という考えが「相手に正しさを求める」根底にあるのではないかと思いました。

人に迷惑を掛けないことも大事ですが、人を許すというのも大事なことなんだと思います。

生きていれば、失敗したり人に迷惑をかけるのは1度や2度じゃないと思いますが、迷惑を掛けてしまっても許してもらえる世の中になってくれれば、この日本の閉塞感を打破することが出来るんじゃないかと思っています。

私も人を許せるような人になれるよう意識していこうと思います。

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